11/4(日)埼玉県加須市・旧騎西高校避難所に行ってきた。
メディアではほとんど取り上げられない今だ避難所となっているところだ。
原発数キロ圏内の双葉町の住民、行政機能がそこにある。
あるはずなのに・・・。
「報道メディアお断り」となっている。
誰がそうしているのか?
少なくても(聞いた範囲では)住民側はそんなこと微塵も思ってもいない。
それよりも今よりも普通の生活。
所謂、普通の生活を望んでいる。
食糧の配給が有料化となり、有料化になっても毎食コンビニ弁当のような揚げ物中心の食事だ。
若い人や生活再建が可能な人は避難所を後にしていく。
残っているのは殆どが行く宛のない高齢者だ。
高齢者が毎食揚げ物のような食事で満足できるだろうか。
満足以前に、それが普通の生活なのか。
今回、我々がおこなった「焼き秋刀魚」や「炊き出しプロジェクト@静岡&Other」の「トン汁」「おにぎり」「にんじんしりしり」等にどれだけ皆が喜んだか。我々が偉いわけでも凄いわけでもない。
それが所謂「普通」なのか?と言うと全然ちゃうやろ!って感じでした。
焼き魚を1年半ぶりくらいに食べるという人もいた。
お漬物を喜んでジップロックにてんこ盛りに詰めていく人もいた。
焼き秋刀魚に長蛇の列ができるほどだった。
思いのほかに、残っている方々は帰って一人暮らしとなり、宛もなくひとりでせいかつするなら、この「避難所暮らし」も悪くないとまで思うほど。
たぶん何もないところで暮らす人には考えられないことだろう。
それよりも個人のプライバシーとか、気兼ねない暮らしを望むのだろうが、それよりもこの余生を楽しく暮らしたい。見えない希望をもつくらいなら、今を皆と助け合いながら楽しく暮らしたいと思っている。
誰がここまでさせたのか。
誰がここまでさせているのか。
何故、今この状況にありながら放置することができるのか。
深いところはいろいろあるのは解る(納得は到底しないけれど)。
この先が見えない中で、不安だらけの中で暮らす人々を、我々小市民はどうしていけばイイのか。
いろいろと考えさせられる一日だった。
でも、皆の笑顔がネガティブにさせずに、我らに元気を与えてくれた。
本来は逆の立場なのだろうけれど・・・。
「できることをできるだけ」
お互いに支えあいながら、生きていく。
生き抜いていくしかないのだろう。
皆が安心して暮らせるようになるまで、我々も忘れずに手を携え、共に生きる道を模索していくしかないのだろう。期待できないヤツラに任せていたら、ホントにこの形態すら崩壊してしまう。誰があーだとか言う前に「共に生きる」
それしかないのだろう。